結晶

コラム

「何事にも時があり、点の下の出来事には全て定められた時がある。 生まれる時、死ぬ時。植える時、植えたものを抜く時。 殺す時、癒す時。破壊する時、経てる時。 泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。 石を放つ時、石を集める時。抱擁の時、抱擁を遠ざける時。 求める時、失う時。保つ時、放つ時。 裂く時、縫う時。黙する時、語る時。 愛する時、憎む時。戦いの時、平和の時。」   (コヘレトの言葉(伝道者の書)3章1~8節)

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。」 (マタイ6章34節)

分かっていても、とり越し苦労が現代人、何故か目の前のことに集中できないのです、まあ私もですが。
故に恋愛も同じ、スタンダール的に言えば「結晶作用」の相手の身振りや表情、さりげないしぐさ、発する言葉、視線、それらの一つひとつが美しく魅了されていくことに気付く、その一粒毎が集まって恋愛の結晶作用となり、今だけが大切だと分かる時なのですが、その様な美しい至宝の経験を求めないと悔やみます。
将来ばかりでなく、愛をより深く味わうことで、美しいものとは何かを知り、自分の存在理由を初めて知り得る機会の可能性を失ってはいけません。 美しいものとは何か? 実際は自分の内実した要素の象徴であり、理屈や法則でなく美しいと思うのです。

大体自分が好きかどうか真剣に考える前に、相手が自分を好きでいるかのみ気にして嫌いになっていく症候群というのでしょうか、多いです。
自分を知る、自分に問い掛ける能力が減退したとも思いませんが、孤独を恐れるあまり異常なまでに他者情報摂取かもしれませんというか、そんな気がします。
独善と言う言葉の解釈は時代を表します、本来独善は漢字の通り自分のを正しくしていく意味だったのが、他人を気にせず自分だけが正しいになり、まだ自分がありましたが、「周りが正しいと言っている、だから自分は正しい」的思考が多い感じです。
他人承認ばかりで自分承認でもなく、相互承認でもない、どこにも自分がいない、自分に聞けないから気付ない、貴女が気にしている貴女を見ている視線は実は貴女なのですが。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従うものを支え、とこしえに動揺しないように計ってくださる。」  (詩篇55篇23節)


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