必然的美

「美しいものは、必然的なものである。
それは、それ自体の法則に、ただその法則だけにかなうものであろうとして、しかも善に従っている。」 シモーヌ・ヴェイユの文章ですが、なんと美をうまく表現していることでしょうか。

「美しさこそ、この世において、唯一の究極的なものである。
カントがいみじくも言ったように、それはどんな終わりもない究極性なのである。
美しいものは、それ自体のほかに、どんな善も持たない。
それが私たちに現れるままに、その全体において、そうなのである。
私たちは、美しいもののほうへと、何を求めているのかも知らずに、向かう。
美しいものは、その存在自体を私たちに与えてくれるのである。
私たちは、それ以外のものを何も望まず、それをしっかりと持ち、しかもなお望み続ける。
それが何であるかは、全然わからない。
美しさのあとを追いかけたいと思うのだが、それはただ”うわつら”だけにしかない。
美しさは、いわば鏡みたいなもので、目指す宝物から私たちの願いを突き返してくるのだ。
美しさは、スフィンクスであり、”謎”であり、神秘であって、苦しいほどいらいらさせる。
私たちは、それを食べて養分にしたいと思う。
しかし、美しさは、目で見られるものにすぎず、一定の距離をおいてしか現れない。
人間の生活の中で一番痛ましいことは、見ることと食べることが二つの違った働きだということである。
ただ、天の彼方、神の住みたもう国においてだけ、この二つが同じ一つの働きとなるのであろう。」

この文章も凄い、【重力と恩寵】にあるのですが、この人を語るには余りに私が無知だ、重力とは何を指すのか?想像だが、人間の魂、気持ち、精神の生きていく上での垢?慢心?落下していくのを持ち上げるには恩寵だけであり、全てを捨てろの意味かも知れない。

「魂にもともとそなわっている自然なはたらきは、物理的な重力と同じ法則によって支配される。それにたいするただ一つの例外といえば、恩寵だけである。」

「わが身を低くすること。それは精神的重力から見れば、上昇することである。精神的重力はわれわれを高いところへ下降させてくれる。」

「神を否定する人の方が、おそらくは神により近い」は、一生掛かっても思い付かない表現である事は間違いないです。


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